1年経ちました

先日、前から続けていた『良かった事探し』を継続して無事1年を迎えることが出来ました。

 

 

良かった事探しについてはこちらの記事を参照ください。

semmel.hatenablog.com

 

3か月経過時の記事はこちら。

semmel.hatenablog.com

 

 

あれから9か月。

何か劇的に変わった点はあったのでしょうか?

 

 

結論から言うと、人生が180°変わるほどの激変はありませんでした。

何かに目覚めて悟りを開いたとか、仕事で昇進したとか人間関係が劇的に変わったとかそういう華やかな出来事はありませんでした。

 

何だ、それじゃ時間の無駄だっただけじゃん。

 

初めて1か月くらいの私だったらそう思っていたかもしれません。何せ、1日の中で良かった事を3つ探すだけで何十分も悩んでたぐらいだったので、これだけ苦労して行うんだから1年続けたら何かすごいことが起こっちゃうんじゃない?とこっそり期待したりしていましたから(笑)

それにしてもなぜこんなに時間が掛かったのでしょうか。それは、よかった事探しを始める時に私が不幸のどん底で本当に何1つ良い事が無かったから・・・・・、という訳ではなくて、単に良い事があってもそれを認知できていなかったからでした。

上記の通り、1年前も今も私を取り囲む状況にさほど大きな変化はありません。良かった事は今も1年前もあった。けれど1年前はそれを感知するセンサーがひどく鈍感で、感知するまでものすごく時間が掛かったのです。

 

ここで告白します。実は、ここ数か月は毎日記入ではなく数日間まとめて記入する事が多くなっていました。

理由は単に私がものぐさ人間だから・・・。

良かった事探しをお勧めしていた肉q先生(id:nkobi1121)、すみません。あまり推奨されないやり方だろうなあと思いながらも、自分のものぐさに勝てませんでした。

 

少し困ったこともありました。

肉q先生は良かった事探しを見つける際の注意点として、『SNS映えするような、誰もが羨むようなよかったことは除外します。』『状況依存的でないよかったことに限ります。』と仰っていました。

私もこの点を注意して良かった事探しをしていたつもりだったのですが、後々に書いた内容を見直すとちょくちょく状況依存的な事を書いていました。

例えば、

『〇〇さんからお菓子を貰った。』、『▢▢で買ったケーキが美味しかった。』など。嬉しかったのでつい書いてしまったのですが、ここは分けて考えた方がよかったですね。それでも全体を見れば状況依存的な内容より自分由来の内容が多かったので、まあ許容範囲ということでいいかなと。

 

自分由来の良かった事、どんな内容だったか一例を挙げると、

 

・部屋の掃除をして気分がすっきりした

・初めて作った料理が思いのほか美味しく出来た

・仕事で気になっていた内容について同僚と相談し、今後の目途をつけることが出来た

・図書館で読んだ本がとても面白かった

・一日良い天気で外に出たら暖かかった

 

という地味なものが大半でした。ははは。

 

では、良かった事探しを続けて落ち込んだり僻んだりイライラしたりといったネガティブな感情は少なくなったのでしょうか。

私の場合は、落ち込むことも僻むこともイライラする事も未だに多くあります。

1年前と比べて減ったかといえば・・・、おそらく減ってはいません。

ただ、1年前と比べてネガティブな感情の深度が気持ち浅くなったような気はします。

以前は、一度ネガティブな感情に陥るととにかく狭く深く、まるで一度落ちたら助からない氷河のクレバスのように体も心も身動きできず、深く絶望する気持ちになる事が多くありました。

今も同じ状態になる事はあります。それでも良かった事探しを1年続けてきて、『辛くて辛くて雲隠れしたくなるような日だって何か1つだけでも良かった事はあった。』という実績の裏打ちがあるからか、『でも今日は〇〇という良かった事もあったな。』とほんの短時間でも違う方向に気持ちを切り替わる事が増えました。

ネガティブ→ポジティブに完全に切り替えられるまでは至っていませんが、ここで完璧・完全な切り替えを求めても自分が辛くなるだけだと思うので、及第点になればいいかという緩い感じでいいと思います。

 

こうして良かった事探しを1年続けられたのも、はてなブログというこの場所で皆様からスターや励ましのお返事を頂いたからだと思います。

皆様、有難うございます。これからも継続して行っていきます。